有限会社アール・エス・シー企画 フランス語はじめヨーロッパ言語など科学技術専門の翻訳会社 -- 福島第一原子力発電所を事故を受けフランス科学アカデミーが設置した作業部会の中間報告書前文
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科学アカデミー作業部会の中間報告書
「日本に連帯」
2011年6月28日
はじめに
アラン・カルパンティエ、科学アカデミー会長
「福島原子力発電所の事故の克服は日本政府の責任であるとはいえ、我々は世界各国及び地域の全てのアカデミーに対して我々への協力をお願いしたい」
日本学術会議
「2011年3月11日、日本の北東地域で巨大地震が発生、その後大津波が押し寄せ、放射性元素漏れを伴う福島原子力発電所の一連の事故が発生した」。これが、災害から数日後に、日本学術会議会長、金澤教授から海外の科学アカデミー会長に寄せられたメッセージである。メッセージには、「海外のアカデミーが今後とも必要な復興に支援の手を貸してくれるだろう」という希望をもっていることが加えられていた。偶然の巡り会わせで、それから約10日後、今年我が国で開催されたG8-G20会議の一環で、日本学術会議(SCJ)の代表団をわがアカデミーが迎え入れたのである。このことは、福島の状況について意見を交換し合い、科学面、とりわけ原子力分野での高い評判が長年来確立されている友好国に対して我が国が提供できそうな支援を検討する機会となった。日本で発生した事象を分析し、フランスや海外の地震リスク及び原子力リスクについて現状を把握し、そして必要な結論や勧告を引き出すことを使命とする作業部会を科学アカデミーの中に設置するアイデアはこうして生まれた。現在も進行中で、数年間はその状態が継続すると思われる状況の中で行われるこの種の取り組みの限界については、十分に認識している。
苛酷な天災或いは人災が発生し、経験フィードバックを通じて必要な考察を展開し、これらの予知、是正、予防を改善できそうな措置を講じることに至る例は、世界中で見られる。地震活動では、地質学者が数万規模の死者を出した大地震を拾い出し、場所を特定し、詳細に分析する作業を長年に亘って行っている。リストアップされている多数の地震の中から最も忘れがたいものとして1755年のリスボン、1896年の三陸で発生した地震を挙げることができる。3月11日、東北では、先ずマグニチュード9の地震が発生した。この地方では地震への備えはできていたものの、これ程のマグニチュードを想定していなかった。次いで、巨大な津波がこの地方の沿岸を襲った。この二つの自然の猛威は多数の死者、怪我人、郷失者、避難者、行方不明者を招くことになった。この災害によって、GPSシステムや耐震構造物の信頼性を確認することができた。これらがなければ、東京が震源に近いこともあり、更に多数の死者や怪我人が出たはずである。
一方、原子力の面では、福島発電所がリスク地帯に立地しているという事実が一連の事象を招き、その悪影響を積み重ねることになった。「2011年3月11日、午後2時46分の地震発生と同時に、当時運転中であった3基の原子炉は(当然ながら)停止したが、サイトの外部電源が喪失した。直ちに発電装置が起動。しかし、1号機と4号機の発電装置が1時間後に停止し、燃料タンクが津波にさらわれた」。当初から連帯を表明していた外国の科学アカデミーに宛ててSCJが3月23日に送った24ページからなる報告書に綴られている文面である。付属資料として同封されたこの報告書、さらにその後の定期的な概況報告書は、科学共同体や公衆に対して情報をリアルタイムで洗いざらい提供することで、これまで当然のことながら指摘されてきた原子力事業全般、特に事故を取り巻く隠蔽体質への批判を避けるというSCJの断固とした決意を表している。この透明性への配慮は日本の模範的行動を示す様々な側面の一つに過ぎない。日本の国民は、この筆舌し難い悲劇に直面し、驚異的な尊厳と自制心を発揮し、賞賛を誘っている。そこに見られる勇気、連帯、ヒューマニティは、同様の状況に置かれたならば諦めで為すがままであろう人たちにとって多くの模範となるはずである。
我々が設置した作業部会は、この惨事の3つの要素、すなわち地震、原子力そして医療を検討する3つの分科会で構成されている。多くの点で相互依存しているものの、これらの要素は十分に個別化されており、別々に検討を進めるのは妥当である。科学アカデミーの元会長に一任された分科会は、日本やフランスの科学機関からの情報、並びに相談先の多数の専門家からの意見を頂戴した。全体的に、分科会のメンバーは科学者からの質問だけでなく、公衆からの質問にも回答することを常に心がけた。チェルノブイリ「前」と「後」があったように、福島「前」と「後」があるはずである。福島後は、国際的な科学機関が行うべき考察から得られるはずである。この考え方に基づき、科学アカデミーは日本学術会議のアピールに応じて、報告書と科学協力案で貢献することにした。提起された全ての疑問に対する回答がこの報告書の中にあると期待してはならない。特に水処理、土壌の回復、移動を余議なくされた避難住民の社会復帰、食料の安全、極限状況下での住民のケアや活動の最適組織化などについては多数の不確実性が残されている。しかしながら、大量の新情報で毎週資料の充実化に追われている医療分科会の報告書を除き、地震と原子力の分科会の報告書は、現状で発表に耐えられるレベルに至っている。報告書は世界の科学共同体に向けたものであり、考察の共有化に、そしてとりわけ連帯の証として日本に貢献するためのものである。
 
 
 
 
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